大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)1494号 判決 1963年7月18日
控訴人(附帯被控訴人) 田中一郎
右訴訟代理人弁護士 長沢盛一
同 田中一男
被控訴人(附帯控訴人) 森下作太郎
右訴訟代理人弁護士 坂本寿郎
主文
控訴並びに附帯控訴に基き原判決を次のとおり変更する。
控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し別紙目録記載の家屋を明渡し、且つ昭和三〇年九月二日以降昭和三一年九月一七日までは一ヶ月金一二、〇〇〇円、翌九月一八日以降昭和三四年三月三一日までは一ヶ月金二一、六〇〇円、翌同年四月一日以降右明渡済に至るまで一ヶ月金二八、〇〇〇円の割合による金員、及び昭和三〇年九月二日から同月三〇日までの金員にしては同年一〇月一日以降、その他の右毎月の金員(但し昭和三八年五月二五日までに履行期の到来したものに限る)に対してはそれぞれその各翌月一日以降各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被控訴人(附帯控訴人)その余の請求を棄却する。
訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は第一、二審とも控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。
この判決は、被控訴人(附帯控訴人)において六〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、金員支払を命ずる部分に限り、仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
≪中略≫
そうすると、本件家屋の賃料は被控訴人の前記増額請求の意思表示が控訴人に到達した昭和三〇年九月一日以降、一ヶ月金一二、〇〇〇円に増額せられたものというべきである。
しかるところ、被控訴人が昭和三一年九月一二日到達の書面を以て、控訴人に対し、同日から五日以内に昭和三〇年八月一日から昭和三一年八月末日までの賃料を支払うべく、もしこれが支払をしないときは本件賃貸借契約を解除する旨の催告並びに停止条件付契約解除の意思表示をなしたことは当事者間に争がなく、右催告された賃料請求額が少くとも昭和三〇年九月一日以降は一ヶ月金一八、五六一円の割合によるものであることは本件紛争の経緯に徴し明らかであるところ、右に対応する相当賃料は同日以降一ヶ月金一二、〇〇〇円に増額されたにすぎないこと前認定のとおりであるから、右催告は右金額を超える部分は過大催告というべきであるが、賃料額が確定していた場合にこれと異る額を請求せられたがために催告受領者においてその明白な違法を指摘してこれに応じないことが相当とされるような場合ではなく、一方的増額請求のため賃料額が当事者間にいまだ明確でない賃料の催告に当つては、催告が過大となる傾向は避け難いところであるから、かかる場合の催告は単に過大であることの故を以てその効力を全部否定せらるべきではなく、当事者間において、全然正当な権利行使と解し得られぬ程度に常軌を逸したもの又は催告人においてその催告額全額に限り履行を受くべき旨を事前に表明した場合、被催告人において催告の過大なことがこれを無視し得る正当事由たるの事情を具えているが如き場合を除いては、過大催告であつても催告としての効力を認むべきであつて、その具体的な効果は客観的に正当な債務額即ち本件においては前記認定の相当賃料額の範囲において生ずるものというべきである(右催告当時控訴人が被控訴人に対し昭和三〇年八月一日から昭和三一年八月末日までの賃料を支払つていなかつたことは控訴人において明らかに争わないところである)。ところが、控訴人は賃料増額請求の是非及びその額は裁判によつて始めて確定するものであるから、それまでは控訴人には増額賃料額を支払う義務はなく、控訴人は右催告期間内に従前の賃料を供託したから遅滞の責はない旨主張するので考えるのに、もとより、増額請求権が行使せられた場合、その是非及び範囲につき当事者間に争がある場合には、その相当額は裁判により確定されるものではあるが、それはすでに右増額請求によつて客観的に定まつた増額の範囲を確認するにすぎず、相当賃料額は増額の意思表示が相手方に到達すると同時に当然に改訂せられ相手方はその後は客観的に相当な賃料を支払うべきものであるから、被催告人たる債務者は、自己の責任において相当賃料額を算定して提供すべきであつて、ただその誤差は免れないところであるから、その算定提供額が当時の客観的相当額に比し信義則に照して概ね相当であれば債務者として執るべき途を守つているものと認められるのであつて、ただ単に従前の賃料額を供託したのみではその増加額の差が僅少である場合又は賃料減額紛争の場合を除き、増額請求権の否認を表明し、債権者に挑戦するの態度を示すものと解されても致方なく、増額請求が正当である事情の存する場合には右は到底債務の本旨に従つたものということはできない。尤も賃借人において何等増額原因がなく従前賃料以外に支払義務がないことを確信する場合にはその賃料額のみを提供、供託することは随意ではあるが、右確信が後日の裁判により誤りであつたことが明らかとなつたときは右の信念に基く行為といえども法の保護を受け得ないものであつて、この意味において一種の危険を賭するものであるが、市民生活関係においては各人が各自理性と計算に基き行動すべき反面、右自主的行為の結果と責任を甘受すべきものであることは、市民生活関係を通ずる原理であつて、営業店舗の賃貸借関係において、右の原理の適用を抑制すべき根拠となる事由は何も見出すことはできない。
本件においては成立に争のない甲第一五号証と原審並びに当審における控訴人本人の供述並びに弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人は被控訴人からの増額の交渉或は増額請求に対し、本件家屋の賃料が地代家賃統制令の適用から除外せられているのであるから、何時までも統制額によることは不可能であり、誠意を以て相当賃料額の発見に努力すべきであるのにこれをなさず、殊に本訴提起後前記催告までの間に、控訴代理人弁護士長沢盛一の依頼により鑑定人によつて本件家屋の相当賃料額の鑑定がなされているに拘らず、右鑑定額を相当賃料額として提供することもなく、前記の如く統制賃料額のみを供託したものであることが認められ、その行為は信義則に照しても債務者として債務の本旨に従つた履行提供をしたものと見られ得ないことは明らかで、控訴人において原判決後、原判決認定の賃料を供託していることも、未だ、債務不履行の結果を払拭するに足らず、他に右判断を覆すに足る事由の認むべきものはない。
そうすると、本件賃貸借契約は昭和三一年九月一七日を以て適法に解除せられたものというべく、被控訴人が控訴人に対し右解除を理由に本件家屋の明渡を求めるについて信義則に反するような事情は何等認められないから、控訴人は被控訴人に対し本件家屋を明渡す義務があるものといわねばならない。
≪中略≫
そうすると、控訴人は被控訴人に対し本件家屋を明渡す義務があると共に、昭和三〇年九月二日から前記解除の日たる昭和三一年九月一七日まで、一ヶ月金一二、〇〇〇円の割合による賃料、翌九月一八日以降昭和三四年三月三一日まで一ヶ月金二一、六〇〇円の割合による客観的賃料相当の損害金(この事実は原審における鑑定人佃順太郎の鑑定の結果により明らかである)、翌同年四月一日以降右明渡済に至るまで一ヶ月金二八、〇〇〇円の割合による客観的賃料相当の損害金(この事実は原審における鑑定人荒木久一の鑑定の結果(第二回)により明らかである)及び昭和三〇年九月二〇日から同月三〇日までの金員に対しては同年一〇月一日から、その他の右毎月の金員(但し本件口頭弁論終結の日である昭和三八年五月二五日以前に支払期限の到来したものに限る)に対してはそれぞれその各翌月一日から各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである(右賃料の支払方法が毎月末日その月分を被控訴人方に持参して支払う約であつたことは前記甲第四号証により明らかであり、賃料相当の損害金の支払についても特段の事情の認められない本件においては右賃料の支払に準ずべきものと解するのを相当とする)。控訴人は一審判決後、一ヶ月金一七、〇〇〇円の割合による賃料を昭和三〇年九月分まで遡り被控訴人に提供したが受領を拒絶せられたので供託している旨主張し、右供託の事実は当事者間に争がないけれども、昭和三一年九月一七日(契約解除の効力発生日)以前の賃料については被控訴人に対し提供したことの証明がないから弁済供託の効力がなく、また同日以後の損害金については賃料としての供託であるから弁済供託の効力がない。
よつて、被控訴人の本訴請求は叙上認定の限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却を免れないから、これと異る原判決を変更し、民事訴訟法第九六条第九二条但書第一九六条第一項を適用して主文とおり判決する。
(裁判長判事 岡垣久晃 判事 宮川種一郎 大野千里)